新卒で「薬剤師」という安定を捨て、医療とはかけ離れたITベンチャーへ。創業期のスタートアップ役員を経験し、一度医療の現場に戻ったのち、独立という道を選びました。

なぜ、そんな遠回りをしてきたのか。

振り返れば、その背景にはいつも、「誰か」との対話と、「知らない世界」への挑戦がありました。

親の機嫌や、人の顔色を見て生きる子供だった

幼少期の記憶

僕は三姉弟の一番下として生まれました。小さい頃から、家では姉と両親の喧嘩が絶えませんでした。父親が怒り、母親が泣いている。そんな状況になるたびに、僕は何とか家族の雰囲気を良くしようと、何も知らないふりをして笑ったり、自分の部屋に閉じこもって勉強したりしていました。

いつの間にか、

「自分がどうしたいか」よりも、
「どうすれば相手が怒らないか」
「どうすれば親が喜ぶか」

を考えるようになっていました。

大学もそうでした。心から薬剤師になりたかったわけではありません。「資格が取れそうだから」「安定していそうだから」「親が喜んでくれそうだから」そんな理由で、薬学部に進みました。

当時の僕にとっては、それが普通でした。自分の人生に、他の選択肢があるなんて、ほとんど考えたこともありませんでした。

家庭に、静かに限界が来ていました

当時の記憶

大学生になってから、家庭の問題はさらに大きくなりました。一番上の姉は親との関係に限界を迎え、家を出て連絡が取れなくなりました。実家に戻っていた叔母も精神的に追い詰められていました。

そんなある日、叔母の娘である従妹から電話がかかってきました。

「ママ、死んじゃった方がいいのかな。」

僕は、何とかしなきゃと思いました。叔母の話を聞き、従妹の話を聞き、親との間にも入りました。でも、どうにもできませんでした。

家族を何とかしたい。周りの人を何とかしたい。ずっと周りのことばかりを考えているうちに、自分が何をしたいのかは、ますます分からなくなっていきました。

初めて、自分の意思で知らない世界へ出た

ヒッチハイクの経験

大学5年生の頃、突然ヒッチハイクをしました。きっかけは、好きだった女の子に振られたことでした。今思えば、とにかく今の自分を変えたかったんだと思います。

21歳の誕生日。一人で名古屋まで行き、帰りはヒッチハイクで東京を目指しました。怖かったし、人の目も気になりました。でも、自分で「やってみたい」と思って、自分で選んで動いている時間には、不思議なくらい「生きている」という感覚がありました。

そこで乗せてもらった男性から、

「若い時はたくさん失敗した方がいい。若ければ何度だって挑戦できる。」

と言われました。

それまでの僕は、失敗しないように、怒られないように、正解から外れないように生きてきました。でも、

「やってみたいことを、やってみてもいいんだ」

と初めて思えた。それまで自分の中にあった「人生はこう生きなければいけない」という枠が、一つ外れた経験でした。

ヒッチハイクで出会った家族

「自分の中の心の声を、ちゃんと聞いてあげてよ」

もう一つ、大きな転機がありました。家を出てから何年も連絡を取っていなかった姉から、久しぶりに連絡が来たことです。

姉は看護師を辞めたあと、フリーランスや起業を経験し、当時はITベンチャーで働いていました。僕がそれまで知らなかった生き方をしている人でした。

久しぶりに姉と話したとき、僕は涙が止まりませんでした。家族のことも、自分のことも、それまでほとんど誰にも話していなかったからです。

姉から何度も聞かれました。

「本当はどうしたいの?」

そして、今でも覚えている言葉があります。

「自分の中の心の声を、ちゃんと聞いてあげてよ」

ずっと親の顔色を見て、自分の本音を抑えてきました。だから、自分が何をしたいのか分からなかった。でも、自分の気持ちがなくなったわけではなくて、聞こえなくなっていただけなのかもしれない。

「自分は、本当はどうしたいんだろう。」初めて、自分の心に目を向けるようになりました。

環境が変わると、人はこんなにも変わる

シェアハウスでの日々

同じ頃、「いなフリ」という、一ヶ月間シェアハウスをしながら働き方を学ぶ場所に参加しました。そこにいたのは、それまでの自分の世界には存在しなかった人たちでした。

学生なのに社会人以上に稼いでいる同世代の子。世界を旅しながら働くノマドワーカー。廃墟ビルをクラファンで買い取ってカフェにしようとしているシェアハウスのオーナー。とにかく、自分の人生を本気で生きようとしている人ばかりでした。

そして、自分以外にも家庭のことで悩み、苦しんできた人がいるのだと知りました。自分と、他人の本音に向き合った一ヶ月でした。

卒業するとき、仲間から言われた言葉があります。

「最初来たとき、コウタって全然笑ってなかったよね。でも最後にはすごい笑うようになったよね。」

たった一ヶ月でした。でも、そこで出会った人たちに触れて、「自分は、本音で生きていいんだ」と、初めて思えた瞬間でした。

親を傷つけてでも、自分の人生を生きる

親との対決

大学卒業後、僕は薬剤師ではなく、ベンチャー企業に入ることを決めました。親が望んでいた道とは違う選択でした。

薬剤師にならないこと。家を出ていた姉と連絡を取っていたこと。そして、これまで親に対して感じていたこと。全部を隠したままでは、自分の人生を始められないと思いました。

入社式の前日、父親と母親のLINEをブロックしました。手が震え、動悸がしていました。それでも、

「親を傷つけてでも、自分の人生を生きる」

と決めました。その後、父親とは一度話をしましたが、「しばらく距離を置きたい」と伝えました。そこから、親に会わない時間が始まりました。

自分で選んだ道でも、うまくいかないことはある

下北沢のシェアハウス

その後、新卒2年目で創業期のスタートアップの役員になりました。自分で「やってみたい」と思って飛び込んだ挑戦でした。

声をかけてくれたのは、国や自治体の育成プログラムにも採択された代表です。経験豊富な経営者のもとで、ゼロイチの現場に飛び込みました。

でも、全くうまくいきませんでした。

前職の経験は通用せず、がむしゃらに仕事をこなしても、求められていることと噛み合わない。何が間違っているのかさえ分からないまま、積み上げてきた自信は粉々に砕かれました。

結局、わずか半年で会社を離れることになりました。

一度は「やってみたいことをやればいい」と思えたのに、やってみたら失敗した。自分で選んだ道だったからこそ、苦しかったです。

心が動く方へ進むことと、成功することは別だった

身をもって、そう知りました。

でも、失敗したから人生が閉じるわけではありません。そこからまた、別の選択肢を探せばいい。そう思えるようになりました。

人と出会うたびに、「普通」が壊れていった

多くの人との対話

スタートアップを辞めたあと、僕は一度、薬剤師に戻りました。生活と自分自身を立て直すための時間でした。

薬剤師として働くことにもやりがいはありました。でも、心のどこかに、「一度きりの人生、このままでいいのかな」という気持ちがありました。

とはいえ、何をしたらいいかは分からない。

だから、とにかく人に会いました。経営者、フリーランス、投資家、公務員。多い月には40人以上と1on1をして、それぞれの仕事や考え方、生き方を聞きました。

すると、人と出会うたびに、自分の中の「普通」が壊れていきました。

特に衝撃だったのは、経営者や投資家の視点でした。理想の生き方を実現している人の考え方は、僕が思っていたものとは全く違いました。

知らない選択肢は、選べない

それまでうまくいっていなかったのは、才能や努力の問題ではなく、単純に考え方ややり方を知らなかっただけ。そう気づきました。

だからこそ、自分の枠の外に出て、知らない世界や人に触れることが、これまで以上に大切だと思うようになりました。

「自分の心を知ること」と「知らない世界に出会うこと」

対話の時間

その後、ある経営者との出会いをきっかけに、僕はもう一度独立することを決めました。

その方から聞いた話は、単純な精神論ではありませんでした。

自分が本当に生きたい人生を生きるには、時間とお金が必要だということ。そのために、世の中の流れをどう見るか、自分の「あり方」をどう描くか、そして考え方とやり方。順番も含めて、驚くほど本質的で分かりやすい話でした。

中でも、一番刺さった言葉があります。

「できるかどうかじゃなくて、やりたいかやりたくないかで選ぶんだよ」

それまでの僕は、ずっと「できるかどうか」で物事を選んできました。

その言葉は、自分の判断基準そのものを揺さぶられるくらいの衝撃でした。

その話を聞いたとき、それまで自分が体験の中でバラバラに感じていたことが、初めて言葉になった感覚がありました。

姉との対話で自分の心に目を向けたこと。ヒッチハイクやシェアハウスを通して、知らない世界に触れてきたこと。それら全部が、この経営者の話で一本の線としてつながった気がしました。

振り返ってみると、僕の人生はずっと、

「自分の心を知ること」と「知らない世界に出会うこと」

の繰り返しでした。そのたびに、自分でつくっていた人生の枠が、少しずつ外れていきました。この出会いをきっかけに、自分がどう生きたいのかを、本当の意味で、考え始めたような気がします。

4年ぶりに、親に会った

4年ぶりの再会

そして2026年の4月1日、4年ぶりに親に会いました。

親をブロックしたのは、一社目の入社式前日、2022年3月31日。ちょうど丸4年が経つタイミングで、たまたまその日だけ予定がぽっかり空いていました。この機会を逃したら、またしばらく帰れない。そう思ったのが、直接のきっかけでした。

もう一つ、僕の中で変わったことがありました。

僕はずっと、「姉が自分の人生を生きられるようになってから、親に会いに行く」ことに拘っていました。

当時、姉は転職先でも人間関係に悩み、何かあるとひどく落ち込む。大好きだった小説や作品も楽しめなくなっている、そんな状況でした。

「自分を救ってくれた姉だからこそ、今度は自分が救いたい」

そう思っていました。

でもある時、気づきました。

どれだけ話を聞いても、どれだけ力になろうとしても、姉の状況は変わりませんでした。それは、自分にはできないことでした。姉には姉の人生があり、それを僕が変えることはできない。

そう思えたとき初めて、自分自身が前に進むために、親に会いに行きたいと、自然と思えるようになっていました。

「よく帰ってきたね」
「帰ってきてくれて、ありがとう。」

その言葉を聞いた時、涙が溢れ出しました。

4年という歳月は、非常に長い時間でしたが、僕にとっても、親にとっても、必要な時間でした。

自分が背負っていた1つの重りが、外れたような気がしました。

自分がもらったものを、今度は誰かに渡したい

今の事業活動

そして今、僕はもう一度独立し、起業という道を選びました。

でも、昔から起業家になりたかったわけではありません。自分が人生を通して大切だと思うようになったことを、仕事や事業という形にしていきたい。そう思うようになったからです。

振り返れば、僕自身の人生は、人との出会いや対話によって何度も変わってきました。一人では気づけなかった自分の気持ちに、誰かとの対話で気づくことができた。自分では想像もしていなかった生き方を、誰かとの出会いで知ることができた。

そのたびに、

「こんな生き方もあるんだ」
「自分にもできるかもしれない」

と、人生の選択肢が増えていきました。だから今度は、自分がそんなきっかけをつくる側になりたいと思っています。

人と対話し、その人自身もまだ気づいていない「好き」や「やってみたい」を一緒に探す。そして、新しい人や世界と出会うことで、自分では決めつけていた人生の枠を少しずつ外していく。

今は、薬剤師としての経験を活かした医療・健康領域への支援と、人生の軸やあり方を深ぼる対話やコミュニティ作りを通して、そのきっかけを届けています。

僕にとって起業は、そのための手段です。

もっと、心がワクワクする方へ

これからの人生

だから僕は、

「心がワクワクする方へ、生きる。」

ということを大切にしています。

自分の「好き」「やってみたい」「面白そう」という気持ちを、自分で小さくしないこと。そして、

今の自分が知っている世界だけで、自分の可能性を決めないこと。

僕自身、親の顔色を見ながら薬剤師を目指していた頃には、今の人生なんて想像もできませんでした。知らない人に会って、知らない世界に触れて、挑戦して、失敗して。そのたびに、少しずつ自分の世界が広がってきました。

今見えている人生だけが、すべてじゃない。もしかしたら、その枠の外に、自分が心からワクワクできる人生があるかもしれません。

もしこの記事を読んで、

「自分は、本当はどんなことがやりたいんだろう」

と少しでも思ったなら。いつか、その話を聞かせてもらえたら嬉しいです。